考えたこと

小林勝彦の思考を残しておくブログ

「職業観の危機〜時間とエネルギーを売り渡すのが労働か〜」専門学校卒業式に招かれ 祝辞

長野県諏訪にある専門学校の卒業式に招かれ、祝意と敬意を表し、いよいよ職業人としての一歩を踏み出す若い方々に職業観という課題を聞いていただきました

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専門学校は職業現場に最も近い高等教育機関として、それぞれの建学の精神に基づいた特色ある教育課程により、高校を経た方を社会につなぐ役目をいただいています。今まさに、皆さんは専門学校からの門出に立っておられるところであります。
さて、長野県の求人求職の現状を事情見ると、求人倍率が1.4、1.5などと高い数を上げ、売り手市場と言われています。そんな中、会社説明会などでは働き方改革論議もあってか、参加する学生からは休日や会社の安定を基に就職を考えたいと言った希望が、また一方企業側からは働きやすさをアピールして人材獲得に努めていると報じられています。
これは今の社会が陥っている偏った職業観をいみじくも表す就職問題点と言えるのではないか、と私は考えています。いくら売り手市場と言っても働きやすさばかりが取りざたされるようでは、労働という人間の尊い行為を貶めてしまうのでは、と危惧しているのです。
近代に新しい産業が盛んに起きてくる中で、20世紀のはじめ今のドイツに、社会に必要なものづくりはいかにあるべきかを探る重要な運動がありました。その運動はやがて世界に波及し、日本にも大きな影響を与えています。その運動の職業倫理は「労働の過程そのものに意義と満足を見出し、それを通じて人格を完成させる、その労働に使命を見出す」といったものでした。
その運動自体は普遍性の高いものでしたのでアメリカにも飛び火し、ここでも影響を及ぼしました。しかし労働に対する考え方においては、「20世紀的、アメリカ的な職業観」とは相入れなかったと評されています。アメリカ的な職業観とは、その産業事情とも相まって「労働する者は、労働契約において、その時間とエネルギーを他人の権利に売り渡す」というものでしたから、特に第二次大戦後、アメリカの影響を大きく受けている我が国の状況と合わせてみても、両者の違いは大いにうなずけるところです。
こう言った職業観の両極を、100年後の我々の求人求職事情にどう照らし合わせて考えればればいいのでしょうか。
世界の定評は、こだわってものを作ろうとする姿勢が日本の良さであり、その信頼性や安全性が我が国の強みである、というものです。もともと日本人が持つものづくりという労働の意義は、時間においてもエネルギーにおいても、売り渡す単純な何ものかに換算してはいけないのではないでしょうか。今、この課題が目の前にあることに気がつかなければ人間の大切な権利を放棄してしまうことにもなりかねません。これは仕事をしていく私たちがそれぞれの胸の内で、思考を深めていくべき大きな命題なのです。
これから、実社会に向かう皆さんは果敢に仕事に挑んでいただきたいと思います。新しい挑戦には失敗はつきものです。失敗したらどうして失敗したのか、そして次はこうしてみようと考え、また挑戦してください。どうかクリエイティブに取り組んでいってください。その先、皆さんの手によって世の中に示すべき職業観を出現することを祈っています。
結びに 貴校のご発展と卒業生並びにご臨席の皆様のご健勝とご発展を祈念してお祝いの言葉とさせていただきます。

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「目的意識〜分かった、実感しました〜」長野美術専門学校卒業式 式辞

 

今年の卒業式は長野美術専門学校の設置学校法人が「クリエイティブA」と改名して、初めての開催
クリエイティブ、クリエイティブと言い続けて来たが、クリエイティブワークの目的とは一体何なのなのか、果たしてそれは明らかになったのか?
祝辞、謝辞の後に述べた内容を載せます

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我々の歩む道は、目に見えるものをつくる ビジュアライズというものづくりの道です。まだ光が当たっていない重要なことに気づき、発見して行く道、それを人に見せられるものとして実体化するというクリエイティブワークの道です。そしてこの道のりでは クリエイティブワークは何のために行なうのかという目的を認識していかなければなりません。我々は 一つひとつの学習目的を見据えて学んできましたが、それら学習目的の先には、“なんのためのこの道なのか”という大命題があるのです。

しかしながら 物事を明快にするのは時間がかかります。およそ400年前 デカルトという学者は 明晰に考えるための規則を書いた未完の 『精神指導の規則 』という本の中で「1+1=2をまず明白にして、明晰に直感せよ」と言っていますが、ここには、当たり前のものとして疑ってもみないで本当に分かっていると言えますか?疑いえないほどの実感を得るまで問いかけを重ねなさい。そういう教えがあるのではないでしょうか。クリエイティブの目的を自分の中で明らかに認識するには、長い道のりが必要になりそうです。

我々の歩む道は実践の道です、簡単に言うと「作って見せる」ことを続けて行く道です。そして皆さんは本校において、好きなことを元手としてその歩みを専門的に始めました。つくるためのものの見方や見せるための作り方を実技の中から学んできました。課程の後半では集大成に取り組み、ついに一里塚を超えました。感性を対象に寄り添わせ一体化するまで、いわば自分の心が本当に許すまでになるには大変でしたね。そして皆さんは何のための取り組みなのか、その目的を学びました。本当の面白さと言うものはなかなかわかってこないものですが、皆さんは間違いなく相応の手ごたえを感じるところまで歩んできました。その証しが本日の卒業、修了であります。そしてまた、これからの仕事でもこの「何のためか」を認識していかなければなりません。

創造性の発揮は何のためにあるのか、「分かった 実感しました 分かってしまいました」と、本校での学びを経た皆さんにそのような時、真理を悟るような時が訪れることを夢見ております。
これから次のステップへ進むこの若い方達を見守り、支援、連携していただいたご家族、先生方、社会の方々本当にありがとうございました。
彼らがこれより創造性をさらに育み、来るべき社会を作っていくことを期待して式辞といたします。

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「必要な思想 〜選挙年齢の引き下げと初音ミクの一般化〜」長野美専入学式

昨年の入学式の告辞もこのブログにのせたので、ブロガー2年目の春、2回目の告辞アップです。果たして、何回まで続けることができるのでしょう。

卒業式に続き、あらかじめ用意した書状を読むかたちでしたが、その前に一言挨拶を入れて聴いて頂きやすくしました。
 

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学校の近くの桜は、昨年より10日ほど早く咲きました。今年は、木蓮や、こぶし、杏など、一斉に花の季節を迎えました。
今入学式という晴れやかな時を迎え、これから新しく積み重なる日々に、大いなる期待と挑戦の思いを込め、新入学にあたっての告辞を述べます。今日は、考える力のつけ方、我々にふさわしい考え方について聞いていただきます。
 
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2015年の6月に選挙権年齢が18歳まで引き下げが決定され、この夏の参議院選挙から施行されます。我々の将来を定めて行く政治への参加には、投票する者が思想を持つことが必要になります。我々の思想がどのように高められるかが大切になってきます。思想の意味を調べると、「単なる直感の内容に論理的な反省を通して得られた体系的な、思考内容」とされています。では、思考する力はどのように養うことができるのでしょうか。
 
クリエイティブワークでは、思考作業の際、Conceptという言葉がよく使われますが、これは考えられた末に持つことができたしっかりした考え方、を指す言葉です。反対にNotionという言葉があり、これは漠然とした考えを意味していて、NotionからConceptへと考えをまとめていくことが大事な仕事になるのです。ともかくよく考えて、しっかりつくることが求められるのですが、それは、まずよく考えて、次につくるというような段階的なもののように、単純に捉えない方がよいでしょう。むしろ逆に、やってみて分かり、そして考えることができるようになっていくものです。これは、鶏卵論のようなもので、例えば写真制作の場合でも、思ったような絵づくりは簡単ではありません。今、頭の中にイメージしたりんごの映像をそのまま手に入れるには、相当な数の農園や八百屋を巡らなければないでしょう。思ったような写真を撮るには、偶然が数多く重ならないとならないのです。これは奇跡的なことです。実際にそんな現実の中で、果敢に写真を撮ってみて、そうして撮るべき写真を考えられるようになるのです。考えて撮る、撮って考える、これを繰り返して、腕前が上がっていきます。奇跡的な写真がいつでも取れるようになったら、もう完全無欠のプロのカメラマンです。
やってみて考え方が精錬される、このことは心得ておかなければなりません。
よく考て、しっかりつくることを仕事とする我々こそが、身に付けるべき態度でしょう。
 
現在は、経済性が主流の価値観。人が寄りあうと、決まりごとのように景気の話が出ます。豊かさの尺度が金銭価値のみで測られがちな時代です。政府が開く諮問会議でも、即効的な消費の拡大に躍起になるあまり、特典付きの商品券の発売策や、大型連休の際の全国一斉セール策などがあげられています。金銭的な価値観をもって金銭の増大を測る、言わばヘビが己のしっほを食べるような考え方ではないでしょうか。もともと、現代のような高度経済は、人間が人間以外の動物を超えて、道具を使うなどの技術開発で、出来ることを増やして来たことに伴った一つの結果です。この先、2045年に人間のそれを上回ると言われる人工知能、すでにパーソナルロボットのPepperが実生活に登場し、ヴォーカロイドの初音ミクN響とコンサートを競演するなど、驚きの技術開発が進んでいます。そして、これからもこの歩みは止まることはないでしょう。技術が一般化して人の暮らしぶりが上げるには、経済力学が必要になるとしても、経済のための経済になってしまっては、浅はかにも豊かさの意味を見失ってしまいます。
果たして、人間の真の豊かさとはどんなものなのでしょう。それを思考することこそ、今我々は最優先するべきではないでしょうか。もし我々が正しい思想に行き着いたなら、その時、来るべき未来が実現していくでしょう。
本校は「クリエイティブこそ社会形成の要である」と堅く信じ続けています。この信条は、創造性がもたらす豊かさを価値観とすることを表明するものです。我々は、この信条に励まされながら、考えつくり、つくって考え、創造性を磨いていきましょう。きっとその先に我々が持つべき思想があるに違いありません。学びには労苦がつきものです。しかし、その時は目指すべき創造性の獲得という大義を、胸の内に思い出し、進み続けましょう。
 
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「クリエイティブであれ 〜目的のための自由さ〜」長野美専卒業式

3月は大きな出来事が続きます。総合制作展に引き続き、卒業式の式辞を残します。

今回の式辞は珍しく、書状を巻き解きながら読み上げる形で行いました。
 
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今、美専を離れ行く皆さんへお聞きいただくべきことは、「クリエイティブであれ」。やはりこれにすべきと考えました。クリエイティブ、つまり創造的とはどうゆうことなのか、今日の門出に際し、また共に確かめたいのです。なぜなら皆さんは、それをこそ実践的に学んできたのですから。
 
クリエイティブとはどうゆうことか、それは「目的のための自由さ」です。つまり「クリエイティブであれ」ということは「目的を達成するなら何でもアリ、何をやってもいいんだ」、我々はこのくらいハッキリと意識したいと思います。
 
「子どもはイメージで育つ」という教育論があります。それは広い場所に、時間がたっぷりある状況、いわゆる自由な状況に置かれた子どもが何をし始めるのかという話で説明されています。ある男の子は石を見つけて投げ出す。ある女の子は砂場へ行って、料理作りのおままごとを始める。その子どもは、記憶にある野球のシーンや、お母さんの仕事をイメージしてそれをトレースし始めるのだというのです。石を見つけると、それを拾い上げる自分、力を入れて投げる自分、飛んで行って落ちて転がる石…、まずそういったイメージが先にあって、行動する。何をイメージし、やり始めるのかは子どもによって違い、イメージして行動、イメージして行動という具合に、経験して人は様々に育つ、だからそこに着目する事が必要だ、という論です。
ちなみに、子どもの私ならまず寝っ転がって、雲とかを見るような気がしますが…。
 
とにかく、育つうちに経験が積み重ねられ、行動が精錬されてきます。「混沌とは未解読の秩序」と言われますが、混沌としてしか見る事ができなかった自分の周りが解読できるようになり、行動のもととなるイメージがボヤッとしたものから、整理され秩序のある考えを持つことができるようになってきます。つまり、「自分ならこう思う」「こうしたい、こうする」という自由ではっきりした行動コンセプトをもてるようになってくる。つまり一個のユニークな自分自身という意識を形成していくのです。これが自然な成長の姿だと思います。そうなると、「この目的を達成」というミッションだけで、自由に自分らしく取り組め、そうして自分の考えどおり目的が達成できた時は、つまり成果をあげる事ができた時、その行いはクリエイティブであったと言えるのです。
 
   これが、最良のシナリオなのですが、現実は自由に自分らしくはなかなか難かしいことです。この難しさの大きな問題のひとつは、因果関係に縛られた行動の仕方が、現代においてはともすれば主流になることにあるのです。数学の公式のようにこうするからこうゆう結果になる、逆にこうゆう結果を出すにはこうしなければならない。この論理が大きく説得力を持っているのが、今なのではないでしょうか。
原因と結果の関係が直結視され、結果を出すために全員に同じような行動を求める状況の中で、創造性をおろそかにしながら多くの人が育ってきているのではないか、と私は危惧しています。何をしても良いどころか、こうしなければならない、そうしなければ目的を達成できない。これではクリエイティブワークになる訳はありません。
 
我々は、この学校で自分がどう考えればいいのか、考えたことは自分がどうすれば実現するのか、そして実現させた成果を自分から周りへと繋ぐことを学んできました。美専展はその集大成でした。
ルソーという哲学者はこう言いました、「自由を放棄することは、人間としての資格を放棄することである」と。我々の周りに、そして自分自身の中にも自由を阻む難敵がいます。我々はこれからも「クリエイティブであれ」「目的のためならなら何をやってもいいんだ」思い切ってこう念じながら、果敢に進んで行きましょう。
 
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「クリエイティブワークのやりがい」美専展

年間最大イベント、美専展の内覧会で総評としてのスピーチをしました。今回はそれを元に、少し膨らませて述べます。



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どんな活動にも労苦が伴います。まして、クリエイティブワークは発掘が約束されていない場所から、宝物を掘り出すような活動ですからなおさらです。費用がかかる、時間がかかる、手間がかかる、頭を悩ませる、心も痛む、などの不利益だらけです。コンビニエンスが価値観の主役である現代の公式なら、このような不利益な活動などは、無意味で必要無いという答えを出すでしょう。クリエイティブワークの労苦に際し、普段の生活で安易に刻み込まれた価値観に支配されているなら、それを上回るやりがいは見いだせないでしょう。
 
美専展の主役は「総合制作」という授業の成果ですが、それは単に作品という結果ではないということが重要です。成果とは作者の考えが現実になることです。一般公開でいただける感想に「よく考えたね」「よく出来てるね」がありますが、これこそが成果が上ったことを証明する言葉でしょう。そして、このような他者からの見方と自分の取り組みとを照らし合わせることで、制作者自身が正しい評価をすることが出来るのです。どうかそのように自己評価をしてみて下さい。
 
さて、労苦を上回るやりがいについてですが、もうお分かりかと思います。クリエイティブワークのやりがいとは、自分が見つけ出した考えが形づくられ実現するという、“成果を上げること”、に他ならないのです。また、上がった成果を見せるということは、つくられたものの芯にある“自分の考え”を見せるということになるのですから、そのために造形の質を高めるワークは、素晴らしいやりがいを持つものに違いありません。
 
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果たして、美専展には成果が表れているでしょうか、そしてそれを来場者に伝えることができるでしょうか。学生の皆さんは今展のサブタイトルに「クリエイティブを魅せろ!」をかかげました。作品の表層をハッタリを効かせて見せるのではなく、その質を認めて頂き、芯にある考えを共有して頂くための、実のあるプロモーションが“魅せる”ということなのでしょう。
 
ちなみに私は今年も、かなりのレベルで魅せられました。
 
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「私のお気に入り 〜マンガにまつわる成長ストーリー〜」長野美専授業

今回は授業でのレクチャーそのままの記事です。
風邪でダウンのため欠席、授業では担当の先生にこのブログを紹介してもらっています。
 
授業は「クリエイティブワーク総論」といい、クリエイティブの学びの意義を様々な角度から考えることで、学生が何にどのように取組み、どこまでやればいいのかを正しくとらえていくための理論系科目です。
ゲスト講師が登場し、それぞれの歩みや実際の仕事を紹介するので、学生は自分のキャリアモデルとしても見ることができ、正に“クリエイティブの学びを通して人の成長を支援する美専”の基幹的な授業となっています。
 
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学生の皆さんおはようございます。
興味深い企画に、出席できず残念です。
風邪をひいてしまいました、申し訳ありません。
 
最終回のクリエイティブワーク総論では「クリエイティブの学びの進路を選んだきっかけとなったもの」や「クリエイティブなアイデアの源泉となるもの」を“私のお気に入り”として取り上げ、 その角度からクリエイティブワークの意義を導き出す目的を持っています。
授業の終わりには、皆さん一人ひとりのお気に入りから導き出されたその答えがレポートにまとめられるでしょう。それが今日の学習目標です。どうか、頑張って取り組んで下さい。
 
そのために、私も他の先生方に混じって「お気に入り」を紹介します。少々古い話で恐縮ですが、ご参考にお聞きください。
それはこの「COM」というまんが本です。たくさんあるでしょう。COMとの最初の出会いは、確か中学2年生の頃。この本は月刊だったので、毎月楽しみにしてちょくちょく手に入れ、このようになりました(貸し出して、戻らないものなどもありますが…)。ここに並んでいるのは本紙の他に付録とか、やがて発行元の「虫プロダクション」(戦後日本のまんがの第一人者、手塚治虫のアニメーションプロダクション=当時)の経営難により大人向けの「COMコミックス」に変貌したものや、廃刊後の復活版もあります。
よく見ると“まんがエリートのためのまんが専門誌”というキャッチフレーズがあります。これこそが、“ちょっと違うもの好き”の私をとらえたコンセプトでした。当時少年まんが誌では「冒険王」「少年」「ぼくら」というような月刊漫画が盛況でした。扱う題材も敵味方のわかりやすい正義追求もの、ロボットもの、時代劇ものなどが定番でした。しかしこの「COM」は、一歩進んだ“まんが好き”を対象にして、また男女も問わず、人間性を追求したもの、あるいは実験的な表現のもの、また当時の若者が置かれた時代性に迫ったものなど、それまでまんがが扱ってこなかった新しい分野に踏み込んだ作品を載せていました。青年まんがという新しいジャンルが生まれたのも「COM」のムーブメントと深いつながりがあります。また新人漫画家の登竜門としてコンテストも行い、ここからは多くの新人まんが家が生まれています。ちなみに手塚治虫のライフワークの「火の鳥」はここで連載されていました。
 
奥の方に並べてある「ガロ」という本も目に付くと思いますが、これもまんが誌で、さらに前衛的な新しいまんがに挑戦しています(これもお気に入りなのです)。実はこの「ガロ」を強く意識して、後に「COM」が生まれたようです。
 
さて、今回なぜこれを取り上げたのかですが、これまで述べたように「COM」は幾つかの革新性を持って生まれたまんが誌です。これまで知らなかった“アナザーワールド”がそこにあり、これからの自分をどこか重要なところへ連れて行ってくれる、幼いながらにもそんな直感を抱けた大切なものに思えるからです。
 
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「COM」との出会いからのストーリーを分析したのが、このビジュアルです。解説しますのでご覧ください。
まず、平凡なまんが好きの少年がいました。この年頃は思春期と呼ばれ、自分自身への関心を強く持ち始める頃です。他の人とは違う自分、自分とはどうゆう人間なのか、などの問いに迫られている時です。そんな頃、“まんがエリートのためのまんが専門誌”「COM」と出会い、ただのまんが好きが変わりました。自分が重要視するものが、他の人はそうは思っていない、そんな関係性の中で他人とは少し違う自分というものを自覚しました。そしてどこかにいる同類を求めるように、行動を起こしました。自分でもペンや烏口を手に取り、まんがを描き始めました。また、高校へ上がると都会の出版社を巡り、「COM」の虫プロにも行きバックナンバーを仕入れ、当時売り出し中の女流まんが家も訪ねました。この経験では出版社の仕事現場を見たり、やがて本に刷り込まれるイラストの原稿をもらったりして、まんがへの興味から、印刷に関わる物事への興味へと視界が広がりました。また次第にグラフィックデザインに興味が湧き、地元のコンペなどへも応募を重ねました。また、長野のデザイン会社(ユニークというプロダクションで今でも市内にあります)にも見学もしました。これらの行動は自分の行き着く場所、将来就く仕事をそれとは無く意識し始める重要な経験でした。そして実際に、ほぼそんな感じの未来を迎えました。
 
「COM」のクリエイティブが導いた私の成長ストーリーはいかがでしたか?今となれば、起こるべくして起きた「お気に入り」にまつわる運命と言えます。
 
さて、みなさんの番になりました。ご健闘を。
 
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2016/01/18
長野美術専門学校 授業「クリエイティブワーク総論」より
 

平成27年度長野美術専門学校入学式校長告辞、二つ目の要点

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本年度の告示は、ここまでまずまずの反応を感じながら、次の要点に移って行った。


さて、皆さんは此処に先生方やご家庭の方々に囲まれて式に臨んでいますが、皆さんのこれからと、周りの皆さんのこれからの姿について聴いていただきたいと思います。
これから生まれようとする雛が、内側からたまごの殻をコツコツとくちばしで叩いて破ろうとすること、またその音を「啐啄(そったく)」と呼んで表しています。また、その時親鳥が雛の誕生を助けるように、やはりくちばしで外側から呼吸を合わせ叩く様子を、仏教では「啐啄同時」と呼び、修行者とその指導者の好い関係を表しています。もし、たまごの中の雛があらぬところを叩いて、殻を割って出たところが地面だったとしたらその雛は外の世界には出にくいでしょう。またもし、そのまま生まれ出る世界を勘違いして地面にもぐって行ってしまったら、もしかしたら自分をモグラと勘違いしてしまったら大変なことです。親鳥がコツコツと割って中を見たら、もぬけの殻、などということも想像すると恐ろしくなります。一方、親鳥があまりに早く殻を突きすぎ、割ってみたところが中はまだ黄身、白身の状態だったらどうでしょう、まだ液体の我が子が流れ出してしまうなどの想像も空恐ろしいことです。

美専の先生方は、皆さんをプロへプロへと導いてくれます。ちょうどうまい加減で殻をコツコツと叩いてくれます。学校のカリキュラムは、今年また、いっそう精錬し準備されました。皆さんと皆さんの周りとの関係、学校の姿は卒啄同時でありたいものです。