考えたこと

小林勝彦の思考のブログ

「クリエイティブであれ 〜目的のための自由さ〜」長野美専卒業式

3月は大きな出来事が続きます。総合制作展に引き続き、卒業式の式辞を残します。

今回の式辞は珍しく、書状を巻き解きながら読み上げる形で行いました。
 
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今、美専を離れ行く皆さんへお聞きいただくべきことは、「クリエイティブであれ」。やはりこれにすべきと考えました。クリエイティブ、つまり創造的とはどうゆうことなのか、今日の門出に際し、また共に確かめたいのです。なぜなら皆さんは、それをこそ実践的に学んできたのですから。
 
クリエイティブとはどうゆうことか、それは「目的のための自由さ」です。つまり「クリエイティブであれ」ということは「目的を達成するなら何でもアリ、何をやってもいいんだ」、我々はこのくらいハッキリと意識したいと思います。
 
「子どもはイメージで育つ」という教育論があります。それは広い場所に、時間がたっぷりある状況、いわゆる自由な状況に置かれた子どもが何をし始めるのかという話で説明されています。ある男の子は石を見つけて投げ出す。ある女の子は砂場へ行って、料理作りのおままごとを始める。その子どもは、記憶にある野球のシーンや、お母さんの仕事をイメージしてそれをトレースし始めるのだというのです。石を見つけると、それを拾い上げる自分、力を入れて投げる自分、飛んで行って落ちて転がる石…、まずそういったイメージが先にあって、行動する。何をイメージし、やり始めるのかは子どもによって違い、イメージして行動、イメージして行動という具合に、経験して人は様々に育つ、だからそこに着目する事が必要だ、という論です。
ちなみに、子どもの私ならまず寝っ転がって、雲とかを見るような気がしますが…。
 
とにかく、育つうちに経験が積み重ねられ、行動が精錬されてきます。「混沌とは未解読の秩序」と言われますが、混沌としてしか見る事ができなかった自分の周りが解読できるようになり、行動のもととなるイメージがボヤッとしたものから、整理され秩序のある考えを持つことができるようになってきます。つまり、「自分ならこう思う」「こうしたい、こうする」という自由ではっきりした行動コンセプトをもてるようになってくる。つまり一個のユニークな自分自身という意識を形成していくのです。これが自然な成長の姿だと思います。そうなると、「この目的を達成」というミッションだけで、自由に自分らしく取り組め、そうして自分の考えどおり目的が達成できた時は、つまり成果をあげる事ができた時、その行いはクリエイティブであったと言えるのです。
 
   これが、最良のシナリオなのですが、現実は自由に自分らしくはなかなか難かしいことです。この難しさの大きな問題のひとつは、因果関係に縛られた行動の仕方が、現代においてはともすれば主流になることにあるのです。数学の公式のようにこうするからこうゆう結果になる、逆にこうゆう結果を出すにはこうしなければならない。この論理が大きく説得力を持っているのが、今なのではないでしょうか。
原因と結果の関係が直結視され、結果を出すために全員に同じような行動を求める状況の中で、創造性をおろそかにしながら多くの人が育ってきているのではないか、と私は危惧しています。何をしても良いどころか、こうしなければならない、そうしなければ目的を達成できない。これではクリエイティブワークになる訳はありません。
 
我々は、この学校で自分がどう考えればいいのか、考えたことは自分がどうすれば実現するのか、そして実現させた成果を自分から周りへと繋ぐことを学んできました。美専展はその集大成でした。
ルソーという哲学者はこう言いました、「自由を放棄することは、人間としての資格を放棄することである」と。我々の周りに、そして自分自身の中にも自由を阻む難敵がいます。我々はこれからも「クリエイティブであれ」「目的のためならなら何をやってもいいんだ」思い切ってこう念じながら、果敢に進んで行きましょう。
 
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