考えたこと

小林勝彦の思考のブログ

「主体性〜従属からの自己解放〜」平成30年度長野美術専門学校入学式 告示

本年度の入学式で宣誓をしてくれたのは、高校生になりたての時から本校に目を向け続けてきた学生でした。様々な情報に触れるたび、オープンキャンパスなどで訪れるたびに、美専の校風、理念、アイデンティティを探り続けて来たのでしょう。そして、今回晴れて入学し、自身の学びや成長に美専を活かすことを誓約したのです。果たして彼女はどんな人を育てようとする学校に入学したのでしょう。告示では美専の理念体系から「育成人間像」について取り上げました。

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<長野美術専門学校入学式 告示より>

長野美術専門学校にはどういう人を育てたいかという考えかたを表した「育成人間像」という理念があります。それは、「目的に対し自由な精神で立ち向かう主体性を持った人間」というものですが、これはどんな意味なのでしょうか。
まず目的についてですが、どんな活動にも目的ありきのはずが、とかく何かを行うとき、その行い自体を目的化してしまい、そもそもなんのために行うのかを置き去りにしがちです。これでは本来の活動意義、仕事のやりがいを見失ってしまいます。
また社会に目を向けると、これまでは高度成長経済における大量生産大量消費の構造の中、効率化のため組織化には上から下へのベクトルが働く、縦型の構造が重んじられて来ました。そこでは物も仕事も与えられるもの、といった従属性が我々の中に重く育ってしまったのではないでしょうか。また高い生産性というものは、単純化された因果性を繰り返すことで生まれますから、「こうすればこうなる」反対に、「こうしなければこうならない」のような強迫観念が我々を動かす原理になりつつあったのでは無いでしょうか。こうして、生産性は上がったけれど、何かやらされている感、既存の因果関係のみをバイブルにしたため、自己責任が希薄化し、人と人との間には責め合い、争う対立感が生まれています。
将来の不確実性が唱えられる今の社会にあっては、答えがひとつしかない課題というものは皆無になりつつあります。また、縦の指示系統組織の限界が、かえって生産性を妨げた結果の、産業の破綻も見受けられます。これは個人の主体性が損なわれて来た結果、起こるべくして起きた出来事なのでは無いでしょうか。
しかし、他から与えられる有限より自ら望む無限※を旨とした、主体性を重要な活動規範とした一群の人たちは昔からいました。彼らはいくつかの答えのひとつを決定すべく仮説をたて試行を繰り返して来ました。既成概念を疑い混沌の中から何ものかの誕生を模索し続けてきました。その人たちはクリエイターと呼ばれる人たちです。クリエイターが自己の中に大切に育てて来たものを、ひとつの言葉で表すとすれば、それは「自由」というものでしょう。
長野美術専門学校は「創造性の育みを以って、社会形成に資する」を教育理念としています。これはクリエイティブこそ社会系形成の要であることを固く信じ、社会の進む道を照らし出すランドマークになるべく自らに課した命題です。今、この学校に集まる我々は、来るべき社会の目的をしっかりと見据え、自由な精神で立ち向かって行こうではありませんか。

※スケート競技の小平奈緒選手の言葉から引用

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